日本には3種類の保守が

 日本には3種類の保守がある、と考えている。

 保守主義というものをきちんと考えるといろいろ難しそうなので、まあ、何となくそう考えている、という程度だが。

 アメリカのような「わかりやすい国」の場合、建国の精神、と言ってしまえば万人が納得しそうだが、日本の場合そうはいかない。歴史的変転があるので、保守も一筋縄ではいかないというわけだ。

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北東アジア史における等身大の日本国

 日経新聞朝刊に「韃靼の馬」という歴史小説が連載されている(辻原登著)。これが面白い。新井白石から吉宗にかけての時代、銀を輸出し生糸を輸入する時代(日本が「資源大国」「工業製品の輸入国」だった時代)から、工業製品を自給する(地下資源が枯渇した)時代へと転換するうねりの中で、外交の担い手だった対馬藩が歴史のうねりに翻弄される姿を描いた作品である。

 ところで、「日本史」と「世界史」があたかも別物であるかのように切離すたこつぼ的歴史観を廃し、北東アジア史の中に日本国という存在を冷静に位置付けようとする動きが、徐々に歴史学の主流を占めようとしているようだ。

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日本アジール論

 サッカー文化を通じた日本人の姿について、前から気になっていたことがある。サッカーマガジン誌に連載『無限大のボール』を書いている藤島大氏も同じことが気になっていたようで、今週発売の同誌で取り上げていた。触発されたので、以下、サッカー文化から見た日本小論を。

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象徴天皇制について

 不特定の人が読むブログで天皇制について論じるのはかなり危険なことだし、「荒らし」の被害にあう可能性もあろう。しかし「象徴天皇制」とは何か、を論ずることは日本人に科せられた課題ではないかと思うのだ。

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