« FITの認定出力と運転開始出力の推移(グラフ集) | トップページ | 今FIT制度に必要なのは運用の見直しだ、ただしバブルは消せない »

「民族主義」に関する一考察(リベラルと保守)

 「民族主義」という言葉は、とても使いにくい言葉だ。なぜなら、まったく違う2つのものを、同じ言葉で読んでいるから。
 一つは、すべての民族は等しく尊重されるべきであり、自分を含めて人が自らが帰属する民族集団を誇りに思うのが当然だとする考え方。もう一つは、自らが所属する民族が特別な立ち場にいるという考え方である。
 これをごっちゃにすると全く議論にならないので、前者を民族主義、後者を自族主義と呼ぶことにする。

 以上の定義から明らかなように、民族主義はリベラルなものだ。そうでなければ民族主義とは呼べない。

 しかし、それだけでは話は終わらない。

 自らの所属する何らかの集団を一つの「民族」と括るためには、保守性が必要不可欠だ。「あいつなんか日本人じゃない」と主張するための規範があって初めて「お前は日本人だ」と呼べるわけだから。
 つまり、リベラルと保守の両面を持たなければ民族主義は成立しない。

 そしてこの両面性の間で揺れ動くのが時代、あるいは歴史というものだろう。
 たとえば、民族に勢いがある時は「そういう日本人がいても、良いんじゃない?」という余裕を持った意見が有力になるし、危機的な状況になると「日本人はこうでなければならない」という保守性が強く出てくる(まあ、それで危機が回避できるかどうかは、別の話だけれど)。

 形式論理というものは、「相矛盾するものを抱え込む」という、ホモサピエンスのあり方を定式化するのが苦手であり、この面に関してインド思想や東洋思想が一定のアドバンテージを持っていると、私は思う。「アウフヘーベン」はその解決ではない。
 もっとも、日本社会で影響力を持つ人の中に、形式論理では割り切れないことを言い訳にしてぐだぐだの理屈で済ませている人がとても多いのではないかという、そういう危機感も持っているのだけれど。

 とりあえず本「一考察」の結論は、「民族主義はリベラルと保守の両面を持たなければ成立しない」というところ。

[追記]
 一つ書き忘れていました。自分自身の政治的ポジションに関連して。

 政治的ポジションについて、「右翼」「左翼」という分類がよく使われるが、殆ど無意味だと思っていて、これについては以前別記事で書いたとおりだ:
「左翼」「右翼」という言葉を使うこと自体が詭弁だ

 一方、上記の通り「リベラル」「保守」という概念には意味があると考えているが、上記の通り「民族主義者はその両面を持つ」ので、人(思想)を類別する概念ではない、ということになる。

[さらに追記]
 この二面性は遺伝子に深く刻まれているのではないかとも考えている。地球の生物が共通して持つ根源的矛盾、ヒトとバクテリアに共通する矛盾と深く関わっているのではないかと思うのだ。
 生物において「種」という概念で括ることが可能である一方、分化(進化)が起きるということは、一つの種における多様性を拡げることでの持続性保障(環境適応)と、別の種を形成することで環境に適応するという持続性確保のバランスの中に「種」という概念が存在していると考えるからである。

|

« FITの認定出力と運転開始出力の推移(グラフ集) | トップページ | 今FIT制度に必要なのは運用の見直しだ、ただしバブルは消せない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35133/60196393

この記事へのトラックバック一覧です: 「民族主義」に関する一考察(リベラルと保守):

« FITの認定出力と運転開始出力の推移(グラフ集) | トップページ | 今FIT制度に必要なのは運用の見直しだ、ただしバブルは消せない »