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民主主義と検察の捜査権

 以前、グリーンピース職員が調査捕鯨の問題をアピールするために、水産庁職員の「お土産」を宅配便倉庫から窃盗するという事件があり、私見を本ブログに書いた。
 その際は「非暴力直接行動」「より大きな違法をあばくための小さな違法」という論点で考えていたのだが、当時グリーンピース事務局長だった星川淳さんと話したところ、彼はもう少し別の視点で考えいているようだった。そのことが気になってあれこれ考えた結果、検察の捜査権が依って立つ処の問題に関わることに気付いた。

 本日配信された『IWJ特報!第30号』で検察のあり方に関する小沢一郎氏の発言が掲載されており、それに触発されて、考えを書き留めておく。

 まず、グリーンピースの事件について以前書いた記事は下記のものである:
http://energy-decentral.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_0e88.html

 その後星川氏との議論を経て気付いたのは、民主主義社会において検察の捜査権は市民から付託された権力だということである。捜査権の根拠はあくまでも一人一人の市民にあり、それが制度的に検察に付託されたに過ぎない。
 したがって、検察の権力行使が適切に行われていないと市民が感じた場合、自ら直接「捜査」を行うことが許されるのが民主主義社会ではないかと考えるのである。この場合、その「捜査」の妥当性については、検察に権原が付託されることを規定した法令で形式的に裁かれるべきではなく、その立法の精神に立ち返り、民主主義社会における捜査権とその付託についての検討を裁判官が行い、妥当性を判じ決すべきではないだろうか。

 想像だが、民主主義社会を自らの手で築いた欧州であれば、このような考えが自然に受け入れられるのではないかという気がする。一方日本では、「お上」が「民主主義」に差し替えられただけ、という面がまだまだあるように感じられる。
 日本が民主主義を標榜するのなら、市民一人一人が、「本来自分が持つ権限を国家に付託した」という自覚をもっと強く持たなければならないのではないだろうか。

 最後に、冒頭で「触発された」と書いた『IWJ特報!第30号』の記事を引用する。これは2011.1.17開催の「小沢一郎元民主党代表との懇談会」における江川紹子氏の質問と、小沢一郎氏の答えである:

【以下、引用】
江川「ひとつは、検察に、どこをどう変えて欲しいのか。ご自身の経験からどう思っていらっしゃるか…」

小沢「制度論と同時に、国民が『民主主義』というものを、もっと理解しなければダメです。要するに、検察が、たとえば恣意的に政治家を狙おうとしたら、何でもケチを付けられる。立小便でも逮捕できる、という話になるわけですが、これは、民主主義が危ういんですよ。そういう認識を、マスコミが持たないところが問題。僕だから、これで頑張ってるんですよ。他の人だったら、全部一発でアウトでしょう。半年ももたない。
 だからそれは結局、民主主義に対する認識の問題なんです。だから国民が、『これではだめじゃないか』と感じなければいけない。民主主義の基本は守れ、という認識に立たないと、他のことも全部そうですけど、お上支配は直らない」
【引用終わり】

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