« 消費税増税に反対する~デフレ社会ではフローではなくストックに課税を~ | トップページ | 電力インフラ整備に民間資金を誘導する制度 »

小水力発電

(以下の記事は、公益社団法人日本河川協会の雑誌『河川』No.778(2011年5月号)に執筆した記事を、発行元の同意を得て掲載するものです。ただし執筆原稿をもとにしているので、同誌掲載内容と多少の相違があるかもしれません)

 「小水力発電というのは何キロワット以下を指すのですか」という質問をしばしば受ける。アメリカでは1万キロワット以下を small hydropower と定義していると聞くが、そこに線を引くことに大きな意味があるとは、私には思えない。一つには、百万キロワット単位の発電所が建つ大陸河川と、せいぜい数十万キロワット止まりの島国との規模感の違いがあるだろう。
 一方日本では「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」が千キロワット以下の水力を「新エネルギー」と定めており、制度上の区分となっている。確かにこの規模になると、経済性を出すのに苦労するレンジだ。
 ただし、1万と言わず千と言わず、数字で線を引くことに大きな意味はないと私は考えている。重要なのは社会的意義を考える上での大小であろう。それを説明するために、まずは歴史を振り返ってみたい。

 日本で最初の事業用水力発電所は、京都市が琵琶湖疎水に建設した蹴上発電所(1892年事業認可)である。需要に合わせて発電機を増設していたようで発電所としての出力がはっきりしないのだが、初期の頃は百数十キロワット程度で運用されていたようだ。今日の基準で言えば小水力発電と言っていいだろう。なお、現在も同じ場所で関西電力蹴上発電所(1936年、4,500キロワット)が稼働している。
 これより5年早く、1887年に日本初の火力発電所を東京電灯会社が建設し配電事業を開始している。京都市では市内に琵琶湖疎水が通じていたため水力発電を行ったが、東京市はじめ沿岸大都市では発電に適した落差が得難いので火力発電で給電したと考えられる。この頃はまだ遠距離送電を行っておらず、市内に建設した発電所から直接配電していた。
 遠距離送電の始まりは、相模川(山梨県内では桂川)から取水し現在の大月市内で発電する駒橋発電所(1907年、15,000キロワット)である。早稲田に建設した変電所まで55キロボルトで送電し、降圧して東京市内に給電を行っていた(その後設備更新を行って21,200キロワットの発電所-現在22,200キロワットに増強中-として現在も稼働している)。
 相模川水系で東京電力が所有する発電所のうち昭和初期までに建設されたものは9か所あるが、急速に電化が進む中、相模川水系では足らず、利根川、信濃川、只見川などへと電源開発が進んでいくことになる。
 さて、大型水力開発が進む一方で小水力の開発も平行して進められていた。私は各地で小水力開発可能性調査を行っているが、適地を見いだしたとき「その川には昔発電所があった」と言われることがままある。村落電化を進めようとした先人が目をつけた川だったということだ。都市と違って農山村の場合、住民が資金を出し合ったり町村役場が関与して建設されたケースが多い。
 その後これらの発電所は、戦時体制下で配電会社に統合されたり、戦後、配電網が山間まで到達した際に電力会社に譲渡されるなどして地元住民の手を離れてゆく。そして譲渡を受けた電力会社は、昭和30年代以降、経営効率の悪い小水力発電所を廃止するようになった。当時東京電力に勤務していた方から聞いたところによると、300キロワットを目安にそれより小さい発電所を廃止する方針だったという。
 この歴史を整理すると、明治年代の終わり頃に遠距離送電が始まって以来昭和30年頃までは、電源地帯から都市・工業地帯に送電するための大型水力と、農山村の自給用小水力とが平行して開発されてきたが、その後高度成長とともに小水力が廃れ、大規模集中型システムに統合されていった、ということになる。

110815ph01
写真1. 廃止された湘南村営発電所(現相模原市)の水圧鉄管を撤去した跡

 これで、定義について私が考えていることをご理解いただけたのではないかと思う。農山村で地域内に供給する電源となる規模を小水力とよぼうということだ。したがって、外部のデベロッパーが開発するのではなく、地域住民が主体的に関与する形が望ましいと考えている。
 再生可能エネルギー発電の中で、地熱発電や風力発電についてはデベロッパーによる開発が主流である。海外では、デンマークの風力のように地域住民が組合を作って建設するのが主流というケースもあるが、日本ではデベロッパーによるものが大部分である。
 一方、太陽光発電は日本でも住民が主体的に建設しているけれど、住宅や商業ビルなど需要施設に直接設置できるという特徴がある点で、小水力とは異なっている。
 小水力の場合、地域内の発電事業主体をどのように形成するかが大きな課題となる。

 地域主体が行う小水力発電というと、愛媛県の旧別子山村(合併して新居浜市)がわかりやすいモデルを提供してくれる。
 吉野川の支流で愛媛県内を流れる銅山川は、名前からわかるように別子銅山周辺を源流としており、採掘が行われていた時代の別子山村は大いに賑わっていた。しかし、鉱山がいずれ枯渇し閉山すれば村は衰退せざるを得ないということを、先人たちは理解していた。そして、経済的に潤っている間に、子孫に残す財産を作ろうという話になり、水力発電所を建設することにしたのだという。
 最初に71キロワットの別子山水力発電所(1953年)を建設し、ひきつづき規模の大きな小美野発電所(1,000キロワット、1959年)を建設して、村内全戸への配電事業を開始した。農山漁村電気導入促進法のもとで配電事業を行うため、事業主体として森林組合も設立した。発電目的の「電化農協」は中国地方に今でもいくつかあるが、発電目的の森林組合というのは、ここ以外で聞いたことがない珍しい事例である。

110815ph02
【ph.2 1953年建設の別子山発電所の建屋】

110815ph03
【ph.3 別子山発電所の内部。レトロな発電設備が今でも現役】

 2基合計1,071キロワットという出力は村にとってほぼ充分な容量だったようで、通常は消費量を上回る発電をしているという。ただし、渇水期には不足することもある。
 別子山は住友グループ発祥の地であると同時に、高知県・愛媛県内に住友共同電力(株)が持っている水力発電所から愛媛県沿岸部のコンビナートに送電するルートにもあたっている。そこで別子山村森林組合は、小美野発電所構内で村内の配電網を住友グループの送電線と接続し、余剰・不足電力の売買をすることにした。これにより1年を通じて安定的に電力供給が行えるとともに、余剰電力の売り上げ収入も得ることができた。ちなみに、電気料金は四国電力と比べて2-3割安価だということである。
 これをモデルと位置づける趣旨は、
(1)地域内の主体が発電事業を行っていること
(2)第一義的には地域で消費することを企図していること
(3)しかし自給自足ではなく広域の送電網と接続して合理的に電力需給を行っていること
の3点である。
 2003年に別子山村が新居浜市と合併した際、森林組合を残す選択肢も検討されたようだが、結果的には発電・配電設備と営業権を住友共同電力に譲渡した。これにより、上記(1)の意味は失ったが、なお、(2)(3)の面は残している。

 次に、近年の事例を2つご紹介しよう。
 1つめは、栃木県の那須野ヶ原土地改良区連合が幹線水路で発電している事例だ。有名なので今更と思う方もおられるだろうが、その意義をあらためて検討したい。
 那珂川中流に位置する那須野ヶ原地区で国営土地改良事業が行われた際、維持管理費負担の軽減を目的に那須野ヶ原発電所(340キロワット、1992年)が建設された。そして事務所棟を建設し常勤職員が管理する体制を売電収入が支えている。
 その後、地球温暖化対策としての小水力発電に注目が集まる中、落差工に簡易設置できる水車発電機の開発を、メーカー・電力会社との共同研究で行い、開発されたものを実機として4基設置した(百村第一・第二発電所、2006年、合計120キロワット)。さらに2009年には、幹線上流部の開水路をパイプに置き換えて蟇沼第一(340キロワット)・第二(170キロワット)発電所を建設した。またその一方で、環境教育用の小型発電機(1キロワット程度)も設置している。
 合計約1,000キロワットになる発電は、形の上では電力会社への売電事業であり、地域へのエネルギー供給を意識したものではない。むしろ私が注目しているのは、総合的な水資源管理と活用を土地改良区が自発的、積極的に行っていることである。
 まず資源管理については、那珂川の望ましい流量を0.5m3/sと定め、渇水時には番水まで行ってそれを確保している。これにより全国トップクラスの鮎漁獲量が維持された。また、那須疎水や調整池、発電所を活用して、観光・スポーツイベントを行ったり環境教育プログラムを実施し、水資源の価値や農業の位置づけについての理解を訴えている。
 このような活動を支える管理費用や管理職員人件費に、農家負担金だけでなく水力発電による売電収入を充てているのである。農家負担金だけで運営していたとすれば幅広い活動を行うことは難しいだろうし、そもそも農業に直接関係ない事業への関与は難しかっただろう。
 すぐにまねができる内容ではないけれど、地域で水資源の総合管理と利活用を行うモデルといえるだろう。

110815ph04
【ph.4 那須野ヶ原発電所(右手前建屋)と戸田調整池】

110815ph05
【ph.5 百村第二発電所3号機】

 もう一つの事例は、河川から取水する事例である。小水力発電の場合、コストをどこまで下げられるかが事業採算性に直結するため、専用の取水堰堤を建設する代わりに既存の砂防堰堤を利用することがよく行われる。熊本県清和村(合併して山都町)が2005年に建設した清和水力発電所(190キロワット)もそのような事例の一つである。
 旧村長の兼瀬哲治氏は「道路を作っても金は生まないし、通る車も減る一方だ。道路建設費の一部を発電所に使えば、毎年収入が入ってきて雇用が生まれる」と議会を説得したと語る。「付近にある清和文楽館まで送電したかったが費用がかさむので諦め」、九州電力に全量売電することにした。
 小水力発電の売電収入金額自体はさほど大きくはないが、それでも1人・2人を雇用する程度の額にはなる。九州で唯一の文楽専用劇場という資産を生かしながら交流人口を呼び寄せる工夫が今後の地域振興のカギになるだろう。
 那須野ヶ原でも見てきたことだが、売電収入を人件費の基盤に充当することで雇用が生まれる。そしてその人が知恵を出し汗をかくことで地域内に活動が生まれ、人を呼び、経済活動が生まれる。
 先に(1)~(3)という「地域エネルギー供給モデル」を描いたが、このような「地域振興モデル」としての小水力開発も重要だ。各地で取り組みが始まってきているので、今後の発展に期待したい。

110815ph06
【pH.6 清和水力発電所全景】

110815ph07
【ph.7 堰堤に穴を開け、右手前の水路へ導水】

(注)発電所の建設年は運用開始年を記した。

|

« 消費税増税に反対する~デフレ社会ではフローではなくストックに課税を~ | トップページ | 電力インフラ整備に民間資金を誘導する制度 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35133/52481480

この記事へのトラックバック一覧です: 小水力発電:

« 消費税増税に反対する~デフレ社会ではフローではなくストックに課税を~ | トップページ | 電力インフラ整備に民間資金を誘導する制度 »