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もう一つの可能性--小規模水力発電 (『月刊むすぶ』執筆記事転載)

(以下の記事は、ロシナンテ社の雑誌『月刊むすぶ-自治・ひと・くらし-』No.482(2011年3月号)に執筆した記事を、発行元の同意を得て掲載するものです。ただし執筆原稿をもとにしているので、同誌掲載内容と多少の相違があるかもしれません)

 四国三郎と称される吉野川は、中央構造線に沿って東西にほぼ一直線に流れる。徳島市内にある河口から西に遡上すると、甲子園で名をあげた旧池田町まで、実に直線的に流れている。しかしここでグイと南に折れ、大歩危・小歩危の断崖を縫って、そこから上流は高知県になる。
 その手前で合流する支流、徳島では伊予川と呼ばれ、愛媛では銅山川と呼ばれる河川は、名前の通り別子銅山周辺に源流を持つ。住友グループ発祥の地である。
 2003年4月に新居浜市と合併した旧別子山村は銅山とともに発展した村であり、他の鉱山跡と同様、閉山後の今となっては往事をしのぶよすがもほとんどない。ところがこの村は、実質村営の水力発電所で村内の電力のほとんどをまかなっていた。合併とともに民間企業に売却した発電所は今も健在で、村民の生活を支えている。
 水力発電の大きな特徴は、丈夫で長持ちなことである。大小を問わない。発電用水車は50年保って当たり前と言われる。
 写真1は1953年に運転開始した別子山発電所だ。出力71キロワットの小規模ながら、建設以来主要部品は一度も交換していないという。丁度同じ年に生まれた水力発電技術者が「機械式調速機が動いているのを初めて見ました」と興奮していた。水力発電技術はデジタル式制御などない時代に高度に発達したものだ。

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写真1 別子山発電所(愛媛県今治市、旧別子山村)

 その後1959年に運転開始した小美野発電所(1,000キロワット)と合わせた1,071キロワットが別子山村の発電能力になる。農山漁村電気導入促進法という法律にもとづき、発電・配電事業主体として別子山村森林組合を設立して、発生した電力を森林組合が各家庭に供給した。1年の大部分は電力が余る一方、渇水期に不足することもあるので、住友共同電力と協議し、同社の送電網に接続することにした。この企業は沿岸工業地帯に電力供給するのが仕事で、高知県、愛媛県にいくつもの水力発電所を持っており、送電線が別子山村を通っていたのだ。これに接続することで、余った電力を売り、足りないときに買うことができる。
 関係者に発電所建設の動機は何かと訪ねたところ、銅山だという。建設当時、もうそれほど多くの鉱石が残されていないことを村人は知っていた。また、閉山後に鉱山町がどういう道をたどるかも知っていた。銅で潤っている間に、その資金を利用して後々まで残るものを作ろう、そう考えて発電所を建設したのだという。おかげで子孫たちは、四国電力より2-3割安価な電力を買うことができる。

 エジソン電灯社によるニューヨークでの配電事業に5年遅れて、1887年に東京市で日本初の配電事業が始まった。最初期の配電事業では火力発電が多い。都市に隣接して建設できるからである。1892年に水力による初めての配電事業が京都市で始まったのは、市内を流れる琵琶湖疎水を利用したからだ。
 その後高電圧で遠距離送電する技術が開発され、遠方の水力開発が始まる。第一号は、今でも山梨県大月市内で稼働している駒橋発電所であり1907年に運転開始している。東京市から近い相模川水系では、その後昭和初期にかけて7つ(現在まで稼働しているものの数)の発電所が建設された。
 しかし、拡大する東京市、首都圏の電力需要を相模川だけで満たすことはできず、信濃川水系や阿賀野川水系にも東京向けの発電所が建設される。こうして、長野・新潟・福島県から東京に大電力を運ぶ道筋がつけられたのである。
 さてその一方、都市型電力会社とは別に、農山村では村営・町営、あるいは有志による小規模水力発電所が多数建設され、村落電化に貢献していた。小水力発電所の建設適地を歩くと、昔の発電所跡に出会うこともしばしばである(写真2)。こうして、戦後復興が終わる頃まで、遠距離送電で都市に電力を供給する大水力と、村落の自給用小水力が併存して発展していた。
 その後高度成長期に入ると、電力会社の配電網が全国をくまなく覆うことになる。発電所の運転管理を自ら行うのは面倒だ(通信回線とコンピュータを使った自動運転・遠距離監視システムがまだなかった)ということで、このような小水力発電所の大部分は電力会社に売却され、採算性のよくないものは廃止されていった。

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写真2 新川発電所の水圧鉄管跡(長野県飯田市)

 全国小水力利用推進協議会では「上流からのエネルギー自立」を提唱している。かつては山の幸が山から運び下ろされていたが、輸入資源に依存する時代となり、木材ですら輸入材が川をさかのぼって上流の村で使われる。上流が、下流になってしまった。
 小水力発電は、大都市に電力供給する力はない。大都市を支えるエネルギーのことは別途考えよう。
 ただ、足下に宝が眠っている農山村では、地域の自然をもう一度見直し、輸入資源にあまり依存しない生活を目指すべきではないだろうか。
 持続可能な地域エネルギーとして、小水力ほどふさわしいものは他にないと私は思っている。まもなく還暦を迎えようという別子山発電所が、今日も元気に電気を起こしているのだから。

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コメント

別子山村(現在は新居浜市)のこの発電所は先週か先々週地元愛媛新聞に紹介されています。住友共同電力はほかにも小規模発電所を持っているようです。
 以前NHK(四国)で紹介されたのは、滝の発電、来島海峡の潮力発電がありましたがまだ実験程度かな、本気で補助金をだせばもっと実用的になっていくと思います。

投稿: mayu1949 | 2011.08.08 12:18

mayu1949様
 コメントありがとうございます。
 そのNHK番組、もしかして「四国のいいぶん」ですか?だとしたら、そこで小水力の話しをしていたのが私です。

投稿: dai(本人) | 2011.08.08 12:30

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