« エネルギーが「再生可能」であることの物理的意味 | トップページ | 2011年4月の石油火力発電燃料代 »

エネルギーが「再生可能」であることの物理的意味(2)

 前稿に引き続き、エネルギーが再生可能であるとはどういうことか、考えを進めます。本稿では太陽光発電を検討します。

 太陽光発電は太陽から地球に到達した日射エネルギーを直接受け止めて電気エネルギーに変換するので、エネルギー源は新たに到達する日射です。したがって、エネルギーを「再生」したという言い方に納得できないのは自然だと思います。
 しかし、、、

 前稿で書いた水循環のストーリーを、もう少し地球規模に拡大しつつ一般化した表現にすると、次のようになります。ただしその前に一つだけ、言葉を定義します。対流圏・水圏・地表から地下数十メートルまでの範囲を、本稿では「地表圏」とよぶことにします。

 さて、海水や海面上の大気の熱、そして海面に到達した日射のエネルギーを吸収して水が水蒸気となり、対流圏の上まで上昇する。そしてこの過程で、熱の一部が位置エネルギーに変換され、別の一部は空気を巻き込んで風のエネルギーに変換される(そして風車を回す)。
 一方、水蒸気は成層圏との境目付近で遠赤外線などを宇宙に向けて(下にも向かうが)放射し、凝縮して水となり雨となり、地表に落ちて川を形成し、水力発電所に流れ込めば水車を回して位置エネルギーを電気エネルギーに変換する。そして元の海に戻る。
 これが熱機関模型で捉えた水循環の姿です。

 この模型で考えれば風力や水力を再生可能と表現してもまったく問題ないと私は考えています。そのことに賛同いただけない方は、以下の議論に入るまでもなく、「再生可能エネルギーなんて存在しない」とお考えのことでしょう。

 さて、ここから太陽光発電の方に話しを広げます。

 前回の記事で書いたように、地表・海面付近で日射を受け上空で宇宙に向かって放射する、そして地球が受けるパワーと放出するパワーがバランスしている、という状態を所与とします。バランスしているからこそ、地表圏は定常的な(短期的変動はあっても、傾向的に変化していかない)状態にあるといえます。
 この前提で前回少し書いたエクセルギーとエントロピーの話しをもう少し深めます。

 定常的であるということは、地表圏内のエネルギーは、増えも減りもしないということです。
 これは物質も同じです。地表圏内の物質は(火山噴出物や隕石、大気成分の宇宙への微妙な流出などを微細な例外として)増えも減りもしません。
 だったらなぜ「再生」が必要なのでしょう?物質もエネルギーも、増えも減りもしないにもかかわらず、「再生」しなければ使い続けることができないのはなぜ?
(以下の議論では、「物質」ではなく「素材・物体」という言い方に切り替えます。この切り替えの意味はいずれ論述するかもしれません)

 ここでエントロピー概念が必要になります。素材・物体もエネルギーも、それ自体は減らないけれど、それに「くっついている」エントロピーが増えてしまう。永続的システムを構築するためには、増えてしまったエントロピーを切り離して地表圏の外に捨てなければならない。「再生」というのは、その素材・物体やエネルギーに「溜まった」エントロピーを切り離して若返らせること、と言っていいでしょう。

 エントロピーに着目する人はここを立脚点とします。地表圏からエントロピーを宇宙に捨てるプロセス、上昇気流にくっつけたエントロピー(低温熱エネルギー)を対流圏上部で宇宙に放射する過程によって地表圏のエントロピーが溜まらずにすむ(一定量を保つ)ことを重視します。
 ただ、エネルギーを放射するばかりだと地表圏の総エネルギー量が減り続けてしまいます。それを補うのが太陽から地表付近に日射として到達する低エントロピーのエネルギーだと解釈するわけです。

 ややひねくれた人たち(エントロピー学会会員である私を含めて)は、捨てることが先に来るこの考え方で納得するのですが、まっすぐな人は「捨てることから始まる」考え方には抵抗感があるようです。
 そこで、(価値を失った)エネルギーを捨てる過程が存在することを前提に「何か価値の高いエネルギーが到達する」という考え方として「エクセルギー」概念を使って考える人たちもいます。
 この考え方を使うと、太陽から地表に届く日射の「エクセルギー」をどのように使い倒すか、が課題になります。繰り返しますが、日射の「エネルギー」は、同量が対流圏上部で宇宙に放出されることが前提です。

 ここで太陽光発電の話しに戻ります。日々新たな日射を受け止めて電気エネルギーに変換する装置を「再生可能エネルギー源」とよんでよいかどうか?
 私の立場は、上記のように地表圏という定常系全体を一つの系(熱機関モデル)として捉えるものです。
 エントロピーの考え方に立てば、エントロピーをくっつけ宇宙に捨ててしまったエネルギーを、低エントロピーのエネルギーとして受け取らなければ定常系が維持できない。したがって、低エントロピーの日射を受け取り、地表圏の人間活動に有効に使える電気エネルギーに変換することはエネルギーの再生だと言っていいのではないでしょうか。

 一方、エクセルギーで考える場合には、直接的に「再生」と言うのは難しいと思います。むしろ「再来エネルギー」とか「再来エクセルギー」といった言葉の方がしっくりくることでしょう。
 ただし、エクセルギー概念は、ある定常系の存在を前提にその中の局面の評価において効果を発揮しますが、系全体を評価するうえでは役に立たない。なぜなら、定常系を語る場合に低熱源を外在的前提としているからです。
 したがって、エクセルギー的に太陽光発電が日射を「再来的」に受け止めているとしても、その裏には定常的に同量のエネルギー(エクセルギーを「かつて乗せていた」エネルギー)を宇宙に向かって捨てている以上、その「再来」を「再生」と捉えて悪いはずがないと私は考えます。

 「再来」の裏に同量の放出があるとき、これを「再生」とよぶか否かはもはや思想的哲学的領域に踏み込むと思うので、納得しない人も多くいると思います。しかし、納得する人もいる考え方なので、「太陽光発電は再生可能エネルギーである」という表現を、一般的意味として否定することはできないと私は考えます。

 余談ですが、友人の大林ミカさんが日本の環境派が使う「物質循環」という言葉をどのように英訳したらニュアンスが伝わるだろう、という問題的をしたときに、私は「material reincarnation」ではどう?と答えたことがあります(無視されましたが)。上記考え方で言えば「exergy reincarnation」もありそうですね。

【言葉に関する注釈】 「パワー」は、時間あたりのエネルギーの流れのことです

|

« エネルギーが「再生可能」であることの物理的意味 | トップページ | 2011年4月の石油火力発電燃料代 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35133/51510198

この記事へのトラックバック一覧です: エネルギーが「再生可能」であることの物理的意味(2):

» 太陽光発電価格 [太陽光発電価格]
太陽光発電の価格を知りたいなら、匿名、無料で複数に見積り一括請求できる。今なら国や市町郡が日本の二酸化炭素を減らす為に補助金を出しているので今がチャンスです。 [続きを読む]

受信: 2011.05.03 22:48

« エネルギーが「再生可能」であることの物理的意味 | トップページ | 2011年4月の石油火力発電燃料代 »