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【覚書】象徴天皇制・法治国家・大宝律令

【なかなかまとまって勉強できないので、思いつきの覚書き】
 象徴天皇制というが、何を「象徴」しているのか。大宝律令からの連続性の象徴ではないかというのが、私の仮説。
 塩野七生は『ローマ人の物語』で、ローマ人は法律を使いこなした民族だったと書いているが、日本人も相当使いこなしている。網野喜彦が発見した、移動漂泊民が聖徳太子の允許状を持っている、という話しなど、法律を使いこなしている証拠。
 大宝律令から継承しているのは、行政の文書主義、日付に年号を使うこと、ハンコを使うこと(ウィキペディアか何かで見た)。ちなみにローマ人もハンコを使っていた(指輪がハンコだった)。

 移動漂泊民が聖徳太子の允許状を持っているというのは、すごい。大宝律令を作ってからさほど年数が立っていない時期に、ここまで法治の概念が徹底していたとしたら、日本人はよほど法治となじみがよかったのか?
 つまり、大宝律令では、土地に固定された戸籍を求めており、土地に縛られない国民は存在してはいけない。しかし、現実に、移動漂泊をなりわいとしている一群の人々がいるのも事実。
 そこで、誰か知恵者が、聖徳太子の允許状を「作って」持たせた。大宝律令は、それより前の、聖徳太子の允許状の正当性に対して口を出せない。もちろん聖徳太子本人が書いたわけではないが、ハンコを導入した大宝律令以前に行われた、聖徳太子からの代理行為の正当性の規定がないので、允許状を書いたという代理行為の正当性の判断ができない。よって、黙認する。

 逆の面。実定法主義というのだろうか。事前に法律を決めてそれを守る、という意識が強すぎるのが日本人の欠点だとも思う。もう少し判例法主義的に、状況の変化に柔軟に対応した方がいいというのが私の意見。

 現行の日本国憲法では、移動の自由を認めたことにより、第一条(大宝律令からの連続性の規定)との間に齟齬が生じた。それを埋めるために、戸籍とは別に住民票制度をつくった。

 ハンコはしばしば批判あるいはバカにされる(三文判を買ってきて押せばいいから)が、署名だと代理行為の規定がたいへんらしい。何かで読んだ。
 つまり、代理行為についてそのつど事細かに書いた委任状を作った上で、代理人が代理行為として署名する。
 ハンコの場合、大きな問題がない書類では「記名押印」と規定しておけば、柔軟に代理行為が行える。問題が生じたときに、事後的に背任かどうかを問えばよい。圧倒的に多くの手続きは事後に問題は生じないので、ハンコ社会の方が柔軟。

 ただ、ハンコは代理行為だという共同幻想に縛られない移民が増えてくると、柔軟性があるがゆえに崩壊する危機が予感される。
 日本人が移民受け入れに臆病な理由の一つがこの辺にあるかもしれない。移民にはハンコという共同幻想を徹底的に教える、というので、どうだろうか。

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