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北東アジア史における等身大の日本国

 日経新聞朝刊に「韃靼の馬」という歴史小説が連載されている(辻原登著)。これが面白い。新井白石から吉宗にかけての時代、銀を輸出し生糸を輸入する時代(日本が「資源大国」「工業製品の輸入国」だった時代)から、工業製品を自給する(地下資源が枯渇した)時代へと転換するうねりの中で、外交の担い手だった対馬藩が歴史のうねりに翻弄される姿を描いた作品である。

 ところで、「日本史」と「世界史」があたかも別物であるかのように切離すたこつぼ的歴史観を廃し、北東アジア史の中に日本国という存在を冷静に位置付けようとする動きが、徐々に歴史学の主流を占めようとしているようだ。

 「倭」とは、そもそも何だったのだろう。
 今でも、多くの人が習う歴史では、倭は日本列島に最初に生まれた「国」であり、日本国(大和朝廷)に直結する「国」だとされているかもしれない。しかし実際には、「倭」は日本列島内に限定された勢力ではないようだ。
 中国人(本稿では中国の内部構造に触れたくない-話がややこしくなりすぎるから-ので、この表現で統一する)は、東側の海沿いに住む諸民族にそれほど強い関心を持たなかった。北方諸民族のように、攻めてくることもなかったのが一因だろう。それゆえ、倭という概念はかなりあいまいに使われていたようだ。
 比較的明確に使われた場合でも、対馬海峡の両岸、つまり朝鮮半島南部から北部九州にかけての勢力を指していたという説がある。「邪馬台国論争」は倭が日本列島にあったことを前提としているが、この前提をはずすと、邪馬台国は朝鮮半島南岸にあったという説が説得力を持つ。

 「日本国」としての対中国外交(北東アジアでは、近年まで対中国の関係が外交そのものであった)は、702年の遣唐使に始まるという。それまで倭国として中国に対していたのを、日本国に名乗りを変えた。この場合の倭国は北九州(太宰府)にあった政権、日本国は近畿地方にあった政権を指す。
 面白いと思ったのは、日本国が倭国を支配下に置いた後も、7世紀の間は倭国を通じて外交を行い、直接対中国外交を行わなかったという説である。

 ここで「韃靼の馬」に飛ぶ。
 徳川政権は、直接外交を行っていない。
 対中国では、朝鮮ルートでは対馬藩、琉球ルートでは薩摩藩が外交を担った。そして対アイヌ外交は松前藩。
 唯一、対欧州では長崎直轄地を通したが、こちらは外交というより貿易が中心。
 7世紀もこれと類似した構造、つまり、日本国が倭国(太宰府政権)を通じて間接的に外交関係を持ったのではないかというのだ。

 これは、外交を冊封関係しか認めなかった中国の方針と関係するかもしれない。中国は対等の外交関係を認めなかったので、対等であろうとすると間接外交を採るよりなかった(それでも中国の側は対等とは全く考えていなかっただろうが)。
 「韃靼の馬」における対馬藩と朝鮮国の外交折衝を見ていると、なんとなくその辺が伺われる気がする。
 本稿の最初で「たこつぼ的歴史観」という批判的表現を用いたが、「中国から見た外交」と「こっちから見た外交」を一致させることが不可能であることを知ったうえで「こっちからは対等だと見ている」外交を長年続けてきたことが原因だとすれば、批判的表現を使うのは片寄った見方かもしれない。

 こう考えてくると、欧州列強が支配する世界史に日本国がデビューしたとき、最初の戦争が日清戦争だったことの北東アジア史的位置づけが伺える。冊封外交という長期にわたった構造を終焉させたから。

 中国、韓国、日本の歴史観のすり合せという作業が始まっている。このことについて、日本の植民地主義云々という狭い意味でしか理解しない人がいるようだが、冊封という外交の枠組みの中で、中国の視点とそっちの視点とこっちの視点を、同じ事実を別の視点から見たという形に落とす作業と考えるべきではないかと思う。北東アジア史というのは、視野を広げて大きな気持ちで眺めれば、ワクワクするダイナミックなものだと思うのだ。

 以前このブログで、歴史を物語として理解することの重要性を書いた(ローマ人の物語は誰もが読むべきだ)。歴史学が科学的に事実だけをつきつめようとすればするほど、意図的に物語として書かれたものを読む意味が大きくなる、と私は考えている。
 私が愛読している作家の中で、北東アジア史の中での日本ということに特にこだわっているのは、安彦良和ではないかと思う。ガンダムを描いた人(ガンダムそのものを描いたのは大河原だが)として有名だが、「ナムジ」「神武」はもとより、「虹色のトロツキー」や「テングリ大戦」だって北東アジア史をふまえている。
 まあ、「虹色、、」や「テングリ、、」を歴史作品と呼ぶのは不適切かもしれない。しかし、北東アジア史をダイナミックな歴史として理解し、その中に日本を位置付けた上で諸作品を描いていることは間違いない。歴史作家として評価されることは少ないが、司馬遼太郎と比較してもばちは当たらないのではないだろうか(愛読者のひいきだろうか?)。

 ともあれ「韃靼の馬」も終盤にさしかかっている。どういうクライマックスを迎えるのか、楽しみだ。

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