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保守主義とリベラリズム

 少し前に書いた『「左翼」「右翼」という言葉を使うこと自体が詭弁』という記事に、ぬりさんからコメントをいただいた。すぐにコメントをお返ししなければ失礼かと思ったのだけれど、「対外的な態度としての政治思想の分類はrealismかliberalism」という問題提起にひっかかってあれこれ考えたため、コメントではなく新たな記事として、自分の考えをまとめることにした。
 ぬりさんは「realismかliberalism」という対立軸を提起されたが、私は「保守とリベラル」という軸で考えるのが妥当だと思う。

 保守主義については(リベラルに関しても)多数の文献があるのできちんと勉強する必要があるとは思うのだが、ここでは自分が社会生活の中でなんとなく学んできたことを整理するに留める。まあ、個人ブログだからね。

 保守主義とリベラリズム、という対立軸の原点は、群れを作る哺乳動物が自我を持つことによって人間社会が生まれたというところにあるのではないか。人間存在の根幹に関わる対立だ(ちなみに私は、政治学というのはホモ=サピエンスの動物行動学だと理解している)。
 群れを作る哺乳動物にとって、群れのルールを守ることは絶対だ。もちろん群れからはぐれる個体もときどき出てくるけれど、それは神様の実験みたいなもので、群れの中の存在であるためには自分を群れのルールに合わせなければならない。

 ホモ=サピエンスの場合、群れの個体数はせいぜい200~300くらいだという話をどこかで読んだ気がする。縄文時代のムラくらいのサイズということだろう。
 ところがどういうわけか、人類史のある時期以降、群れが集積し、脳のキャパを超える規模の集団を構成するようになる。おそらくこの過程で、私たちが「自我」と呼んでいるものが生まれたのではないだろうか。そしてその自我が個を主張する。
 ここから「不完全な人間の、未完成の社会」が生まれた。

 そして、自我を持った人間の集団が社会を構成するという矛盾した(不完全であり未完成であるがゆえに変化し続ける)状況において生まれたのが、保守主義とリベラリズムという対立軸ではないだろうか。
 巨大化した集団には社会規範がある。かつて数十~数百の個体群だった時代には群れのルールに従うことによって安定した社会を気付いていたのだから、巨大化した集団においても、自我を抑制し社会規範に従うことで安定が得られると考えるのは自然だ。そしてこの考え方が保守主義ではないだろうか。
 しかしながら、群れの時代には脳のキャパで安定した社会を築くことができたが、脳+社会装置というシステムを駆使しても、未だ巨大化した集団を安定させることはできていない。保守主義は一見もっともだが「結局うまくいかないじゃん」という批判を逃れることはできない。
 私はどうも近代思想が苦手(荘子は何回も読み返したが、カントは3ページで挫折した)なので、保守主義というと孔子、ということになる。「心の欲するところに従ひて矩を踰えず」は、保守主義者の理想と言えようが、すべての人が「矩を踰え」なくなったとき、本当に社会が安定するのだろうか、というのがリベラリストからの疑問である。

 現状の脳+社会装置というシステムが不安定である以上、私たちはより進んだ社会装置を生み出す必要がある(脳の方が勝手に適応する、という事態は、少なくとも数百年のスケールでは考えにくい)。社会を不安定にしている原因が自我と社会規範の軋轢にあるとすれば、社会規範の方をいじるべきだろう、というところにリベラリズムの立脚点があるのではないだろうか。
 とはいえ、安定した社会を生み出した実績があるわけではなく、しかも社会的不安定を生み出す直接的な動きは特定の自我あるいは個性といったところからわき上がってくるのが常だから、保守主義者から「いじる場所が違うんじゃないの」と指摘されるのはやむを得ない。

 保守主義とリベラリズムの対立は、以上のように整理して理解できるだろう。
 そしてその上で自分の立ち位置を考えると、間違いなくリベラリズムにあると思う。ただし、リベラルなリアリストではあるけれど。

 そうそう。ぬりさんのコメントにあった「realism」について、まだ論考していませんでしたね。
 私は素直に、「リアリズム」に対置されるのは「理想主義」だと思う。では、この対立軸はどう説明するか。

 まだあまり深く考えていないのだけれど、現実社会を一枚の絵と見立てたときに、その絵を「美しい」と見るのがリアリスト、「醜い」と見るのが理想主義者ではないだろうか。
 神ならぬ人間が、何億何十億という人間が、目の前の狭い範囲しか見通せない人間が束になり描きあがった「現実」という一枚の絵。もちろんそこには悲惨や苦しみも多く、多く描かれている。それでもその人間の営為を、とりあえず「美しい」とした上で自らの社会的行動を考えるのがリアリスト、ということだ。

 以上、保守主義vsリベラリズム、リアリズムvs理想主義、という2つの対立軸があり、この2軸は独立しているというのが、政治的対立軸に関する私の理解、ということになる。

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