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負担と分担

 以前、FIT(フィードインタリフ)というエネルギー政策の国民負担に関して論考したことがある☆。5か月ほど前の記事なのだが、このところ記事を書いていなかったので、2つ前の記事だ。
☆FITにともなう国民負担-木ではなく森を見よう

 温暖化対策についてあいかわらず「国民負担」が議論されているので、続編として、先の記事より一般的な意味で「負担」について考えてみた。
 その結果気付いたのは、「負担」と「分担」に、分けて議論すべきだということである。

 負担と分担の違いを検討するにあたり、相変わらず自然エネルギー発電についてのFIT(長期固定価格買取制度)を例に取るが、内容はFITに特化したものではなく他の政策にも共通する一般的なものである。
※ 「FITとは何か」に関しては末尾に解説した。

 さて、負担と分担のうち、まず負担について。
 イタリア・ラクイラでまとめられたG8首脳宣言には、以下のように書かれている。

(引用開始)
--------
61.人為的に排出される温室効果ガス ― 主に化石燃料の使用によって生ずるもの
― が危険な気候変動を引き起こし、環境と生態系サービスのみならず、我々の現在及
び将来の繁栄の基盤そのものを危険にさらしていることは、科学的にも明らかに示され
ている。行動を起こさないことのコストは、低炭素社会への移行にかかるコストをはる
かに上回る。[以下略]
出典: 外務省による仮約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/italy09/pdfs/sengen_k.pdf
--------
(引用終わり)

 「行動を起こさないことのコストは、低炭素社会への移行にかかるコストをはるかに上回る」ということを「負担」という単語を使って書き換えれば、「今、対策費用を負担しなければ、将来はるかに大きな負担を強いられる」ということができ、他の部分も読めば「将来の大きな負担を避けるために、ただちに温暖化対策に必要な費用を負担しなければならない」ということで合意したと理解してよいだろう。

 これに対して、「温暖化対策を取る必要はない」という議論がある。「負担は必要ない」というのだ。あるいは、「将来強いられる(と予測される)負担は小さいから、何も今負担する必要はない」という論点もあろう。
 ただ、首脳宣言に内閣総理大臣が署名したのだから、日本政府は「負担する」ことを決めており、負担の具体的内容=温暖化対策をどんどん立案・実行すべし、ということになる。

 ここまでが「負担」の議論である。後述の分担に関する議論と比べて、論点はかなり単純だ。

 次に「分担」。

 負担にはいろいろな内容がありうるのだが、ここでは対策のために金銭的負担=費用が発生する場合を取り上げて考えよう。例えば、太陽光発電所は、建設・運転に必要な費用が電力販売収入を上回るので、その差額が「(温暖化対策)費用」だということになる。

 この費用の捻出方法にはいろいろな手法があり、議論すべき点、つまり「分担に関する検討項目」は多数ある。とてもここで論じきれる内容ではないので、ここでは自然エネルギー発電に絞り、さらに「税金を使うか、電力料金を使うか」という2項対立で検討してみよう。

 「税金を使う」という手法の代表が、補助金である。建設費用を補助することで、建設費自己負担分を電力販売収入で回収できるようにする手法だ。
 この場合、必要な費用を納税者で分担することになる。昨今話題の「財源」論で説明すると、例えば、
- 地方の道路建設を凍結して補助金に回せば、その地方で道路に期待していた人が(機会の逸失という形で)分担することになり、
- 増税して補助金に回せば、それぞれの増税額をその人が分担することとなる。

 一方「電気料金を使う」という手法の代表が、FITである。
 この場合、必要な費用はその人の電力消費量に比例して分担することになる。

 私の考えを言えば、発電所建設費は電力料金で賄うのがスジだし、電力消費量の多い人が多く分担するのもわかりやすいと思うのだが、当然、それ以外にいろいろな意見があるだろう。

 分担について整理すると、「負担することが決定している以上、それをどのように分担するかを決めることが政策論だ」と言っていいだろう。そして、全員が納得する分担などあろうはずがないことを、政策を論ずる人間は理解しておかなければならない。

 たとえば消費者団体の代表者が「電気料金の形で家計に負担をかけるべきでない」という言い方で、FITに反対したとしよう。これは「関係者の要望」である。「この町に道路がほしい」という地元住民の要望などと同じだ。
 相手がもし政策論に加わる意志を持っていれば、「ではどのように分担するのが妥当と考えますか」と問うことで議論が始まるが、その意志を持っていなければ「ご要望伺いました」で終わりとし、各方面の「ご要望」を参考にしつ、政策を論じる人たちの間で何らかの分担方法を決定しなければならない。

 「関係者の要望」をすべて反映させようとしたら、政策は成立せず財政は破綻することが明らかだ。
 そして、今後、選挙の結果がどうあれ、政策に対する国民のアクセスは増えてゆくだろう。「政策」と「要望」の違いを国民が理解しなければ、悪しきポピュリズムに堕していく危険がある。
 一方、政策アクセスの増加で政策決定プロセスに対する理解が深まれば、民主主義国家としての成熟につながるだろう。
 「国民主権」を担う、負担し分担する覚悟が問われている。


※ そもそもFITとは何か、について。
 現在エネルギー分野で議論されている FIT は、自然エネルギーで発電した電力に関して、種類に応じた長期固定価格で買取ることを送配電会社に義務づける制度である。
 制度の概要と特長は、私が書いたプレゼンテーションを、本ブログからダウンロードできるようにしてある。
「電力インフラ大転換に必要な投資を誘発する制度は何か?」(pdfファイルをダウンロード)
 また、さくらぃ氏が個人ブログ「壊れたら直そう日記」で詳しく解説しておられるので参考にされたい。
「壊れたら直そう日記」
(ページの右上から「フィードインタリフ制度」(FIT)の解説に飛べるようになっている(はず))

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