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日本アジール論

 サッカー文化を通じた日本人の姿について、前から気になっていたことがある。サッカーマガジン誌に連載『無限大のボール』を書いている藤島大氏も同じことが気になっていたようで、今週発売の同誌で取り上げていた。触発されたので、以下、サッカー文化から見た日本小論を。

 先日のキリン杯カメルーン戦では、おなじみ中津江村(合併して今は日田市)から来た500人が真剣にカメルーンを応援していた。また、日本代表がクロアチア代表と闘うとき、十日町の人々は「日本中からどう思われてもクロアチアを応援する」と語る。どちらも日韓ワールドカップのキャンプ地が縁でできた応援団だ。
 日本というのは本当におもしろい国だと思うし、日本人というのは愛すべき人々だなぁと思う。サッカーやオリンピックで日本が始めた(多分)一村一国や一校一国という応援方法は海外にも広まったようだが、自国代表をさしおいてここまで応援する感覚は、他国の方々にはなかなか理解しがたいのではないだろうか?

 もうひとつサッカーマガジンからのネタ。だいぶ前にジェレミー=ウォーカー氏が書いたコラム。
 日韓ワールドカップの時、実はヨーロッパのフーリガンが何人か日本潜入に成功し、騒動を起こそうと手ぐすねを引いていた。ところが来てみると「ベッカム様~」をはじめ各国代表が熱烈歓迎を受けてほんわかムード。毒気を抜かれたフーリガンはすごすご帰っていったとか。

 日本がこれからどのような国の姿を目指すかについて、「美しい国」を唱える方が首相を続けることになったが、私は私で一つのイメージを持っている。一言で言えば「世界のアジール」といったところ。
(アジール: 歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」などを含む特殊なエリアのことを意味する。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる/wikipediaより)
 たとえばパレスチナ人とユダヤ人が、日本に来たときだけは肩を並べて心から笑いあえるような、そういう国が作れないだろうかということだ。
 私が見聞きした限りでいえば、日本人は非常に多くの国で好感を持たれている。日本から来たと言えば笑顔でようこそと迎え入てもらえることが多い(戦争で直接悪さをした国を除けば)。この好感の基盤にある日本のイメージは「平和と繁栄」ではないだろうか。

 もちろん、日本が平和と繁栄に多くのエネルギーを注ぐことができたのは、強大な軍事国家と同盟を結ぶことで軍事面にあまりエネルギーを使わずにすんだからであろう。平和が苦労なく実現できるほど人間社会は甘くない。
 けれどそれでも、故国の内戦に苦悩したドラガン=ストイコビッチ氏やイビチャ=オシム氏にとって居心地のいい国であることは事実だ。ピクシーが「(ユーゴを空襲した)NATOの加盟国ではプレーしない」と宣言してくれたおかげで、名古屋の人がどれだけ得をしたことか。直接手を下さなかっただけで、人の印象は変わるものだ。
 あるいは、ハンガリー生まれのユダヤ人で、故国のユダヤ人差別があまりにひどいため国外脱出してフランス国籍を取得し、その後日本が気に入って定住しているという大道芸人もいる。そうそう、ピーター=フランクルとイビチャ=オシムには「数学」という共通点もありましたね。

 この国の人たちに戦争は似合わないと思う。異文化を、摩擦を起こさずに受け入れる能力に秀でた民族には平和が似合っている。
 なんといっても「平和ボケ」の国だ。平和にぼけていられるしあわせを、世界の人々に「アジール」として提供する国を作れば、感謝と尊敬を集めることだろう。同盟国が引き起こした戦争で傷ついた人たちに癒しの場を提供することこそ同盟国としての責務だと、皮肉でなく本気で考えている。

 件のサッカーマガジンを引用しようとして発行日付を見たら、9.11と書いてあった。ちょっとドキッとした。

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