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象徴天皇制について

 不特定の人が読むブログで天皇制について論じるのはかなり危険なことだし、「荒らし」の被害にあう可能性もあろう。しかし「象徴天皇制」とは何か、を論ずることは日本人に科せられた課題ではないかと思うのだ。

 何がどう「課題」かを説明するために「アジア型民主主義」を例にとろう。マハティール氏(マレーシア前首相)が口にしたこの概念を、私は肯定的に受け止めている。アジアの民主主義はヨーロッパとは違うという主張を。
 ただしそこは条件がある。単に「ヨーロッパと違う」と主張するだけでは、何も生まれないし問題解決にならない。「アジア型民主主義」とは何なのかを論理的に位置づけることが必要だ。
 ヨーロッパで民主主義について書かれた論文・文献は、必読書の類だけ集めても、積み上げて1-2メートル、あるいはそれ以上になるのではないだろうか。それくらいの知的蓄積がある。アジア型民主主義についてもそれくらいの知的苦労をして初めて人類の知的財産として受け入れられることと思う。むろん、一朝一夕にという話ではない。

 象徴天皇制についても同じことを言いたい。「日本の特殊性」で済ませるのは知的怠慢だ。日本特有のこの制度をきちんと論理的に説明することは、人類に対する知的貢献になるだろう。それを果たすのが日本人の責任ではないだろうか。
 「実質的に元首なのだから、憲法にも天皇は元首だと書けばよい」という意見がある。以前は私も賛成だったのだが、本論に書いたことを考えるようになって少々意見が変わってきた。ヨーロッパで(国家に関する多くの議論や争いを経て)成立した「元首」という概念に天皇をあてはめるだけでは、日本人は何ら知的貢献をしたことにならない。後述するように、いずれはそこに落ち着くことになるかもしれないけれど、とにかく現行憲法に「象徴」と書いたのだから、それが何を意味するか議論する責任があると思うのである。

■ 歴史的遡行
 ということで、日本という国家の形成過程について、wikipedia を中心にネットで当たってみた。いや実におもしろい。図書だとどうしても特定の人の主張に長くつき合わなければならないが、ネットだと一度にいろいろな説を読むことができる。一通りの歴史は学校で習っているので、摘み食いで効率的に知識を仕込めた気がする。
 「天皇制に象徴される日本という国家」が形成されたのは、推古天皇から大宝律令制定までの間、ちょうど7世紀の100年間なのではないかというのが私の得た結論である。誤解のないよう書いておくと、天皇制の起源という話ではなく、(私たちが知っている)「天皇制に象徴される日本という国家」の起源の話である。

■ 天皇制は何を象徴しているか
 wikipedia で大宝律令について書いた方は、その内容を次の3点に整理している。
①天皇を中心とし、二官八省(太政官・神祇官の二官、中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省の八省)の官僚機構による中央集権体制
②役所で取り扱う文書には元号を使い、印鑑を押し、定められた形式に従うという文書主義
③国・郡・里などの地方単位と地方官制

 このうち③は武家政権の時代には有名無実化していただろう。
 また①も、武家が権力を持った(権威と権力が分裂した)時点で統治機構としては意味を失ったはずだ。名前が最後まで残った大蔵省も、歴史を盾にとった大蔵官僚の抵抗に対して橋本龍太郎首相が「歴史が大切というなら検非違使庁も復活させればいい」と切捨てて、形式的にも完全に消滅した。(宮内庁がまだある?)

 おもしろいのは、という書き出しで私が何を書きたいか、お気づきの方も多いだろう。そう、②は完璧に生き残っているのだ。
 役所の文書に形式を重んじるのは、多分どこの国でも法治国家に共通することだと思う。日本に(中華文化圏に)特有なのは元号とハンコである。

 元号というのは、暦を管理することが国家権力の重要な基盤になっていた時代の名残であろう。原子時計が電波で時を告げる現代では実質的意味を持たないけれど、象徴として生き残っている。

■ ハンコ
 印鑑の象徴性はもっと強い。「ハンコ社会=象徴天皇制」と言ってしまっても大きな間違いではないんじゃなかろうかということを考えている。
 機械で製造し容易に複製できる三文判が本人証明にならないことは誰もが理解している。にもかかわらずハンコ社会が機能するのは、押印するという象徴的行為を不正に行うことが重罪であるという心理的内的規制が強いからであろう。多くの人が「人様のハンコを無断で押すなんていう悪いことはできません」と考えることで不正が事前に防がれており、本人確認として機能する必要性が低い。

 日本人は自発的に秩序を維持しようとする性質が強いと思う。そのおかげで、罰則で締め上げたり武装警官を配備したりしなくても平和な社会を維持することができた。印鑑はそんな日本人の象徴だと言えないだろうか?
 日本人が移民を嫌うのも、その辺と関係がありそうだ。他人のハンコを押すことに心理的規制が全くないガイジンが大量に入ってくれば、今の秩序を維持することができない。

 ハンコがサインに置き代わり、公文書が西暦に変わったとき、憲法に「天皇は元首」と書かれるのかもしれない。

(つづく... 予定)

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