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戦争について今考えないといけないこと

 アメリカがイラン相手に開戦するのではないかという話が聞かれるようになって来た。もちろん実際にそうなるかどうかなど、私ごときに確証が持てようはずもないが、かと言って政府や国会で中核にいる人だとて、確信を持って予測するだけの情報は持っていないのではないだろうか。

 しかし、戦争に踏み切るとなれば日本にも参戦を求めてくることは容易に予想できる。そしてこれは、その時になってから考えたのでは間に合わないことだろう。「イラン相手に仕掛けることにした。日本も当然参戦してくれるよな」とブッシュに言われ、言われてから考えるのでは到底間に合わない。というより、はい、と言わざるを得ないだろう。
 つまり、予め考えておくことが必要であり、それをしないということは、その時になったら「はい」と言わざるを得ないことをわかって先送りすること、つまり最初からアメリカに相乗りするつもりで思考停止しているに等しいと言えるだろう。
 では、アメリカの対イラン戦争に相乗りすることは、果たして日本の国益に適うのだろうか? 私は No だと思う。なぜなら、アメリカが負けるだろうと思っているから。負ける側に乗るのは愚かなことだ。

 西アジア周辺でのアメリカの戦争は、一言で言えば泥沼だ。アフガンが落ち着かないうちにイラクに戦争を吹っ掛けて、放置されたアフガンではアメリカの望まない政権に戻りそうな状況。そのイラクも、撤退したら同じようになるだろうと見えている状況で、アメリカ国内の反対を押し切ってまで兵力を増派。さらに、イラクで手一杯で北朝鮮まで手が回らないと言いながら、今度はソマリアで戦争を始めた。そしてイラン?
 アフガンで決着しない(決着させることができなかった?)うちにひたすら戦線拡大するなかで、アメリカが勝てないことがはっきりしてきたと私は思う。実際、勝ててないでしょう。「アルカイダにもフセイン政権にも勝ったじゃないか」と言う人がいると思うので、言い方を変えよう。「アメリカは自分の思った方向で決着を付けることができなかった」。いや、そもそも決着をつけることができていない。
 アメリカと戦争している相手の側は、決着を付けなければならない義務はない(戦争を仕掛けてきたのはアメリカだし)わけで、泥沼だろうが何だろうが、延々戦い続ければよい。それはそれでたいへんと思うが、戦い続けるだけの意志と能力と資金源はあるように見える。アメリカが決着を付けない限り、彼らは戦い続けられるように思える。

 自ら望む方向で、あるいは相当程度の妥協をしても、ともかく決着を付けることがアメリカにできるのだろうか? 相手側は泥沼にいくらでもつき合って戦い続けるようだ。
 決着を付けられないとすれば、アメリカに残された道は一つ。負けを認めて撤退することだけだ。
 アメリカが負けると私が予想する根拠はここにある。

 さて、ではもしアメリカからイラン戦争に参戦を求められたら、日本はどうすべきだろうか? さすがに「負ける方には乗れないから」とは言えないだろう。
 かつては、こういうときのためにこそ憲法九条があった。「憲法が認めていないから出兵できない」。こういう場合に日本の国益を守る上でとても有用な条文だったのだが、今や骨抜きになり今回は使えない。
 誤解しないでほしいのだが、過去はともかく、今後に関しては国際的な枠組みの中でむしろ平和のために有効に軍事力を活用すべきだと私は考えている。古い九条を守る必要はないというのが私の意見だ。
 カンボジアPKOは成功だったと評価しており、今後もカンボジアPKO的な活動を自衛隊が積極的に行うべきだと考えている。したがって、憲法九条とはまた違った道具を使って国益を確保しなければならない。負ける戦争への参戦をどうやって断るか。

 カギはカンボジアPKOではないだろうか。というより、どうしてカンボジアPKOの評価を日本人はきちんと行っていないのだろう? 海外の軍事行動に関する Plan-Do-Check-Action で言えば、カンボジアに関する Check を行い、それにもとづいて次の Action を起こさなければならないのに。
 もちろん自衛隊はちゃんとした内部評価をしているだろうし、政府内部でもやっているのかもしれない。けれど国民的議論としてちゃんとした評価をしたようには思えない。これは危険なことだ。(なぜ危険かって? いつか負ける戦争に巻き込まれるだろうと思うから)。

 私が重要と思うのは二点。国連が明確に認定した活動であるということと、平和維持(Peace Keeping)と言うこと。
 国連ということに関して言えば、イラク戦争を「国連も認めた」という主張は限りなく乱暴な論理だ。まして次にイラン相手に開戦するとなったら、どう考えても国連の認定はないだろう。したがって「国連が全面的に認定して初めて自衛隊は行動を起こす」と主張すれば負ける戦争から逃げることができる。
 平和維持というのも重要なポイント。平和創造活動も国連が関与しているけれど、なんといっても日本には憲法九条があることだし(まだ改憲されたわけではない)、平和維持活動への参加が限界であって、平和創造へは参加できないと主張しても批判されるいわれはないのではないだろうか?

 法解釈の形式論が過剰に議論されていることも問題だと思う。
 そもそも国連というのは集団的自衛権のメカニズムそのものだと思うので、集団的自衛権それ自体を否定するのには無理がある。
 その一方、日米同盟という集団的自衛のメカニズムを国連より上に置くことは、日本の国益を危うくする。最初に書いたとおり、アメリカの無謀な戦争に巻き込まれる危険があるので、これは避けるべきだろう。集団的自衛権についてはこれまで以上に国連中心主義を取るべきだというのが私の意見。
 ただし、ミサイルを撃ち落とすことに関しては、さっさと撃てばいいと考えている。自国上空に向ってくるミサイルについて、目的地がわからない段階で撃墜して、それが集団的自衛権だというのは形式論ではないだろうか?
 撃ち落とすこと自体の問題ではなく、ことの本質は米軍と自衛隊をネットワーク接続することの是非だろう。これはちゃんと議論しないといけない。

 形式論に対する反発はもう一点。どこに出兵していいかどうか。
 自衛隊の海外活動、どういうところなら出兵していいかどうかの基準。「席について机上で話合いながら机の下で蹴り合いをしているところには自衛隊を派遣するけれど、席を立って殴り合いをしているところには派遣しない」と、自衛隊海外派遣の法律の条文にこのとおり書くべきだと本気で思っている。もちろん曖昧な比喩表現で法律条文として無理があるのはわかるけれど、この件に関する法理論論争を聞いていると普通の間隔からあまりに乖離しているように感じるので、それならいっそこういう条文を書いてみてはどうかと思うのだ。(カンボジア想定、イラクも論外ですね)

 日米同盟については、双務的ではなく相補的にすることが重要だと私は思う。簡単に言えばアメリカは戦争をするので日本は平和をする、ということ。アメリカと一緒に戦争をしたところで、たいして役に立つとは思えない。一方、日本の平和力は、小泉政権の時代にだいぶ減殺されてしまったが、まだまだ大きいと思う。
 日本のソフトパワーをアニメ文化に矮小化する動きがあるが、本質は平和力だと私は思う。そもそもジョセフ=ナイがソフトパワーという言葉にどういう意味を持たせたか考えずに言葉が独り歩きしているのではないだろうか。
 一言で言えば、ハードパワーというのは「相手に無理矢理でも言うことを聞かせる力」、ソフトパワーは「自分から動かなくても相手の方が自分の言うことを聞きたくなる力」と私は理解している。ハードパワー=軍事力、ソフトパワー=平和力、というのはさすがに単純化しすぎではあるが、それでも本質は外していないと思う。日本とアメリカが双務的に行動した場合、アメリカが現に持っているハードパワーへの上乗せはたいしたことはない(メリットが小さい)のに対して、相補的に、日本のソフトパワーとアメリカの軍事パワーが協調すれば大きな力となるだろう。
 したがってアメリカに対しては、日本の平和力を最大限に発揮できるような状況を作ってほしい、と主張すべきだと考える。そこに日米同盟の意味があると。

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